Adolescence_limbo’s blog

自分のことや近況、考えについて書きます

私立中学校不登校から現在までの人生

これが初投稿になります。

 

間違えてでもこのブログを開いてくれた方には感謝します。

暇つぶしにでもなれば幸いです。

この話は、私の小学生高学年~高校生になるまでのことです。

最初に断っておきますが思春期特有の厨二的な雰囲気になると思いますし、私の人生で初めてのブログになるので、とても不慣れで読みにくいと思います、それに文章力や構成力もないですがご了承ください

それでは書いていきます。

 

 

私の親は毒親

小学3年生から6年生まで、お金のかかる受験塾に通わされた、家族間でも仲のいい友達が塾にいたので少し気は楽だったが、ついていけなかった、どんどん置いて行かれた

約四時間の授業はあまりにも長かった

嫌すぎて泣いても母親には「甘えるな」と言われた

塾講師には「ここの塾一回の授業料は言えないくらい高いから、頑張ろう」

掛かるプレッシャーはとても重かった

ゲームがしたいと言っても15分程度しかさせてもらえず、友達とも遊ばせてくれなかった。小学校でしか遊ぶことができなかった。

 

もうなんのために生きてるかわからなかった

そんな生活は小学生の身には地獄だった

 

しかし小学6年生の最後の頃、親の雰囲気が変わった

塾に行きたくないと言ったら「やめていいよ」と言い始めた

それが変なプレッシャーに変わり結局行っていたが

親からは「嫌だったらやめていいんだよ?」と何回も言われた

どうして?もういいの?

なんとも言えない気持ち、裏切られた、わからない、何をしたいのかわからない

 

ある日、親の寝室に行った

そして窓辺に不意に目をやると、雑誌を見つけた、子育てママ向けの雑誌のようだった

見出しには「思春期の男子を個性豊かに育てる!!」

私は察してしまった

仲のいい友達が同じ塾にいたこと、最近の様子がおかしいこと

 

こんな主体性のかけらもない人間に、私という個人は着せ替えされていたのだ

嗚咽が抑えれず部屋に籠って声を引っ込めて泣いた

しかし声が漏れていたようで、母親が部屋まで来た

そして嘘の出来事を話して母親に慰められ、ハグされ泣いた

悔しかった、子供の非力さを嘆いた

苦しめられ、泣かされ、慰められた

 

 

それから塾はやめたが受験はした

そこそこ悪い男子校に入学した

やっと終わった、ゲームクリアだ、幸せだ、幸せなんだ、もう苦しまなくて済むんだ

私の人生の苦労は私立に入れば終わりであとは幸せで満ちていると思っていた

 

違かった

授業の内容が理解できなかった、テストは赤点だった

補修を受けた、バカにされた、そして虐められた

 

憎い

親、塾、塾講師、学校、何もかも憎い

悔しい、あんなに頑張ったのに、あんなに

 

 

中学二年の冬の終わりごろ、父親がコロナにかかった

しかし普通のコロナではなかった

ウイルスが脳に入り込んだのだ

 

ウイルスが人の脳に入ると、脳が炎症を起こし体のほぼ全ての機能が麻痺し、最悪死ぬ

 

父親は入院、入院初日は意識があったが、二日目の朝から意識がなかった

危篤だった、母親と祖母祖父が病院に急遽呼び出され、喉を開ける手術を行う証明書を書いた

帰ってきた母親はずっと寝室で泣いていた、妹も泣いていた

 

私は何も感じなかった

父親はずっと仕事のことでイラついていて、家にいるときはリラックスできなかった、もう私が中学生の頃には話すことなんてなかった

ただ死んだ時貧乏になるのは嫌だなと感じた

 

2月ごろ父親が目を覚ました

脳が麻痺していたせいで、言葉が全く喋れなかったが看護師の方がビデオ通話をしてくれた

げっそりとした父親、初めて見せた父親の涙

父親は泣いた、母親は泣いた、妹は泣いた、看護師の方も泣いた

 

完成、私以外で完結してる

疎外感を感じた私はうまく泣けなかった

 

それから毎日、夕食どきにはビデオ通話をしていた

 

しんどい。

毎回母親が涙ぐむのが悲劇のヒロインのようで、気に食わない

妹も釣られて泣く、父親も釣られてなく、看護師も

 

あの幸せな家庭感がしんどかった

 

5月に父親は退院、様々な機能が麻痺していたのでリハビリ施設へ移動した

 

7月に初めて対面面会をした、顔だけでなく体格もあまりにも痩せこけていた

歩くこともままならず看護師がつきっきりだった

まるで別人のようだった

 

10月 父親がほぼ治り家に帰ってきた

まだ仕事復帰はできないのでしばらくは自宅待機だった

 

 

その頃すでに私は不登校になっていた

 

 

父親になんで家にいるのか聞かれた、答えられなかった

しんどい、あからさまに父親がイラついている、ごめんなさい、ごめんなさい

そう思いながら、部屋に逃げてベットで泣いて、泣き疲れて眠っていた

 

17時ごろ目を覚ました

リビングから声が聞こえる、階段からバレないように会話を聞いていた

「なんで俺がいない間にこんなことになってんだ」

「あの子も辛かったんだよ、わかってあげてよ」

「冗談じゃねえよ、あの甘ったれが」

「そんな言う必要ないでしょ!」

 

 

嫌だ、もう嫌だ、もう嫌、おもむろにスマホを取り出して

「死にたい」 検索した

大量に出てくる、傷跡、薬の過剰摂取

私は財布を持って家からひっそり抜け出し、近くのドラックストアへと向かった

 

 

とある日、私はリビングに呼び出された

父親に謝られた、そして質問された

なんで学校が嫌になったのか

そして学校を辞めるのか聞かれた

 

ここでも答えられなかった

 

 

 

私は中三を区切りに私立をやめた

正直もう残りの人生どうでもよかった、後悔なんてない

 

今は高校一年生、某磁石高校で週一登校している

うつ病起立性調節障害と診断されたが生きている

夜、満足に眠れず生きている

周りの小綺麗な高校生にに囲まれ、やや劣等感を覚えながら生きている

ただ幸せになりたいと思って日々生きている

もう二度とあんな目には合わない、親のような人間にはならない、これから自分で考えて日々生きる

もう親には迷惑かけないし、卒業したら見切りをつけるつもり

そう決めたから、最初の一歩としてここに吐き出した

 

 

最近ギターを始めた

おわり