Adolescence_limbo’s blog

自分のことや近況、考えについて書きます

ちょっと遅れた

ちょっと遅れてしまったが、ブログ更新のお時間です

 

 

私の好きなゲームのニディガの展覧会があるということで、楽しみだ

twitterで一緒に参加しないかと誘ってみたところ結構反応をもらえた

女性の方と行くことになった、かもしれない

しかし彼氏持ちの人なので、倫理的に問題があるということで、他の方も誘ったが、mじゅりだった、倫理観倫理観、人に勝手に芽生えた価値観

ヒッピーではないけれど少し不思議で奇妙、神様が何か授けたに違いない頑張るんだ、なんでこの世界の一ミリにもならない時間を頑張らなきゃいけないんだ、めんどくせえ、めんどくせえ、そんなことを考えるのも神様の死ウェア座wかもしれない、なんで生きてるんだ、めんどくさい、人はなんで環境保護と言って自分の限りある生命を浪費するのだろう、未来のため?バカ言わないで欲しい、道楽がすぎる、いい加減にしろ、俺がいっかいs説教しいてやる、人間たるもの快楽に正直でいいはずだ、それくらいいいだろう?なあ、こんなに苦しんでるのに余計なことばかり口にしやがって、イラつく、何が何を動かすのだろうか、死ね死ね

いろんな主義者もクズも全員死ね、幸せになるのは自分だけでいいんだよ、ばか死ね死ね、くそくそ、ばかばあか、しね、もうなさエセkない、吐きそう

眠い、明日バイトじゃん最悪、クズに揉まれて死んでいくのきあか、

店長きもいから嫌いなんだよな、いちいちめんどくせえし、生理中かっての

きめえなくそジジイ、きめえ、ほんとに、死んでくれ、頼む

幸せになるのは自分だけでいいのに、くそもうじゃdもが、くたばりやがれ

おえ気持ち悪い、吐きそう、吐きそう、死にたい、虚しいよ、誰か救ってよ

嘘かも、寝取られは嫌い、ゲロ吐きそう、気持ち悪い

ODしてるから何書いているのかわからない、吐き気がひどい、ゲロ吐きそう

以上だだ

先週起きたこと

ごきげんよう 

毎週更新するといいつつ、ちょっと出遅れた、こういうとこだよ

というか、なんと書いてきた記事に星が5個も付いてた!

ネットを彷徨う誰かもわからぬ人に一瞬だけでも私は認知されたのだ

これってなんかすごくない?Twitterでもないわざわざはてなブログで私の文章を読んだ人間がいる...感慨深い 

 

ということで先週起きたこと

 

なんと高一のまだ十五歳のガキがアルバイト先見つけることができました

5回くらい受けてたんですけど、まじでどこも受からなくて社会の厳しさに喘いでいたところ救われました、ほんとに感謝

受かったのは良いのだけどちょっと憂鬱

これから待ち受けるであろう人間関係や接客がかなりしんどく感じる(近所が発達しかいない)

だけどこれも社会で生きるということの一環、それくらい覚悟しなくちゃね

それはそうと、金欠気味なのに木曜にスタバに通うとかいう愚行を繰り返していたのでお金が安定して手に入れられるというのは本当に助かる、はいこの話題終わり

 

最近ギターを始めたという話は聞いていると思いますが、ロックが好きとかギター使ってるアーティストが好きとかじゃなくシンプルに格好いいからで弾いてるんだけど、いざバンド組むってなったら、話題とか如何しよう

私の学校には一応文化祭みたいなものがあるのでせっかくの青春、味わいたいじゃないですか、いいじゃないですか妄想の中ぐらい、てかクラスメイトの名前一人も覚えてないや

昔から、漢字の名前覚えるの苦手で、それに声低くて喋りも下手とかいう、天涯孤独を約束された身ですが、それなりに頑張ってこれから乗り切るぞ、それじゃあまた

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の自分の思ったこと

みなさま(読者なんて一人もいないけどね)この湿気の中いかがお過ごしでしょうか

 

深夜テンションと愚痴りたくて始めてしまったこのブログだけど、それなりに続けようと思っている

そこで続けるためにもルールで自分を縛っておきたい、一応即興でルールを考えた、シンプルで続けやすいルールを、以下ルール

 

・一週間に一回は投稿する

・500文字以上

 

この二つだけでとりあえず続けてみる

このブログで書いてきたことが役に立ったりするかもしれない

 

それじゃあ今週は、話せる範囲で自分の思ったことや近況を話そうと思う

(暴言注意)

 

最近私は、バイトの応募をしているのですけど、全く受からないんですよね

本屋、コンビニ、スーパー

そしてまたもやドラッグストアに応募してみました

家からそれなりに近いし、なんならよく行ってるし、自身は大有りです。

本当に受かっていてほしい

先月ぐらいに私はAirPodsを線路に落とした、4万、子供のお小遣いじゃ届かない値段

お年玉を待つくらいなら、自分で働いて取り戻そうと思って応募しまくっているのだ

あと社会不適合者のレッテルをはられたくないから

社不と言ったら、私実は病み垢というものを持っている

なんじゃそれと思う方もいるので軽く説明を

簡単に言ったら、うつとか死にたいとかの感情をツイートする垢(人によりけり)

そんな病み垢の世界で、自分のことをわざわざ、「ヤニカス」「酒カス」と書く人たちがいるのだ、カッコいいつもりなんだろうか、まさに思春期延長戦という感じがしていけすかない

貧乏なのにタバコ吸ってどうするって思っちゃう

吸ってしまうから、カスなのかって理解する

 

世界は広い、いや狭い、狭すぎる

 

最近歌舞伎町周辺、いわゆる「トー横」というのが話題に上がってくる

そこに屯する子供(立派な大人も混じってるが)を「トー横キッズ」と呼ぶ

親ガチャ大爆死した人や、ただのクズがそこに集まり犯罪の温床になり、社会に迷惑をかけるわけだが、やはり同情の声も聞こえる

「居場所がない...」「体売ることでしか生活できない...」

確かに、確かにわかる

虐められた身だ、よくわかる

でも同情できない、したくない

働け、家に帰れ、警察頼れ、散財やめろ、ODするな、勉強しろ、現実見ろ

変に気取って社会の犠牲者ぶっているのが気に食わない

トー横まで来れる勇気あるなら、他のこと頑張れよ

わがままにしか聞こえない

年取った時のこと考えてみてほしい、売春は若さが命、ホストなども同じ

ジジババになったときどう生きるの?

残念ながらこの国は優しい、生活保護がある

私はこんな後先考えない碌でもないのに、自分が収める税金を使って欲しくない

ODして死ね、ばーーーか

 

言いたいこと言えた、終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私立中学校不登校から現在までの人生

これが初投稿になります。

 

間違えてでもこのブログを開いてくれた方には感謝します。

暇つぶしにでもなれば幸いです。

この話は、私の小学生高学年~高校生になるまでのことです。

最初に断っておきますが思春期特有の厨二的な雰囲気になると思いますし、私の人生で初めてのブログになるので、とても不慣れで読みにくいと思います、それに文章力や構成力もないですがご了承ください

それでは書いていきます。

 

 

私の親は毒親

小学3年生から6年生まで、お金のかかる受験塾に通わされた、家族間でも仲のいい友達が塾にいたので少し気は楽だったが、ついていけなかった、どんどん置いて行かれた

約四時間の授業はあまりにも長かった

嫌すぎて泣いても母親には「甘えるな」と言われた

塾講師には「ここの塾一回の授業料は言えないくらい高いから、頑張ろう」

掛かるプレッシャーはとても重かった

ゲームがしたいと言っても15分程度しかさせてもらえず、友達とも遊ばせてくれなかった。小学校でしか遊ぶことができなかった。

 

もうなんのために生きてるかわからなかった

そんな生活は小学生の身には地獄だった

 

しかし小学6年生の最後の頃、親の雰囲気が変わった

塾に行きたくないと言ったら「やめていいよ」と言い始めた

それが変なプレッシャーに変わり結局行っていたが

親からは「嫌だったらやめていいんだよ?」と何回も言われた

どうして?もういいの?

なんとも言えない気持ち、裏切られた、わからない、何をしたいのかわからない

 

ある日、親の寝室に行った

そして窓辺に不意に目をやると、雑誌を見つけた、子育てママ向けの雑誌のようだった

見出しには「思春期の男子を個性豊かに育てる!!」

私は察してしまった

仲のいい友達が同じ塾にいたこと、最近の様子がおかしいこと

 

こんな主体性のかけらもない人間に、私という個人は着せ替えされていたのだ

嗚咽が抑えれず部屋に籠って声を引っ込めて泣いた

しかし声が漏れていたようで、母親が部屋まで来た

そして嘘の出来事を話して母親に慰められ、ハグされ泣いた

悔しかった、子供の非力さを嘆いた

苦しめられ、泣かされ、慰められた

 

 

それから塾はやめたが受験はした

そこそこ悪い男子校に入学した

やっと終わった、ゲームクリアだ、幸せだ、幸せなんだ、もう苦しまなくて済むんだ

私の人生の苦労は私立に入れば終わりであとは幸せで満ちていると思っていた

 

違かった

授業の内容が理解できなかった、テストは赤点だった

補修を受けた、バカにされた、そして虐められた

 

憎い

親、塾、塾講師、学校、何もかも憎い

悔しい、あんなに頑張ったのに、あんなに

 

 

中学二年の冬の終わりごろ、父親がコロナにかかった

しかし普通のコロナではなかった

ウイルスが脳に入り込んだのだ

 

ウイルスが人の脳に入ると、脳が炎症を起こし体のほぼ全ての機能が麻痺し、最悪死ぬ

 

父親は入院、入院初日は意識があったが、二日目の朝から意識がなかった

危篤だった、母親と祖母祖父が病院に急遽呼び出され、喉を開ける手術を行う証明書を書いた

帰ってきた母親はずっと寝室で泣いていた、妹も泣いていた

 

私は何も感じなかった

父親はずっと仕事のことでイラついていて、家にいるときはリラックスできなかった、もう私が中学生の頃には話すことなんてなかった

ただ死んだ時貧乏になるのは嫌だなと感じた

 

2月ごろ父親が目を覚ました

脳が麻痺していたせいで、言葉が全く喋れなかったが看護師の方がビデオ通話をしてくれた

げっそりとした父親、初めて見せた父親の涙

父親は泣いた、母親は泣いた、妹は泣いた、看護師の方も泣いた

 

完成、私以外で完結してる

疎外感を感じた私はうまく泣けなかった

 

それから毎日、夕食どきにはビデオ通話をしていた

 

しんどい。

毎回母親が涙ぐむのが悲劇のヒロインのようで、気に食わない

妹も釣られて泣く、父親も釣られてなく、看護師も

 

あの幸せな家庭感がしんどかった

 

5月に父親は退院、様々な機能が麻痺していたのでリハビリ施設へ移動した

 

7月に初めて対面面会をした、顔だけでなく体格もあまりにも痩せこけていた

歩くこともままならず看護師がつきっきりだった

まるで別人のようだった

 

10月 父親がほぼ治り家に帰ってきた

まだ仕事復帰はできないのでしばらくは自宅待機だった

 

 

その頃すでに私は不登校になっていた

 

 

父親になんで家にいるのか聞かれた、答えられなかった

しんどい、あからさまに父親がイラついている、ごめんなさい、ごめんなさい

そう思いながら、部屋に逃げてベットで泣いて、泣き疲れて眠っていた

 

17時ごろ目を覚ました

リビングから声が聞こえる、階段からバレないように会話を聞いていた

「なんで俺がいない間にこんなことになってんだ」

「あの子も辛かったんだよ、わかってあげてよ」

「冗談じゃねえよ、あの甘ったれが」

「そんな言う必要ないでしょ!」

 

 

嫌だ、もう嫌だ、もう嫌、おもむろにスマホを取り出して

「死にたい」 検索した

大量に出てくる、傷跡、薬の過剰摂取

私は財布を持って家からひっそり抜け出し、近くのドラックストアへと向かった

 

 

とある日、私はリビングに呼び出された

父親に謝られた、そして質問された

なんで学校が嫌になったのか

そして学校を辞めるのか聞かれた

 

ここでも答えられなかった

 

 

 

私は中三を区切りに私立をやめた

正直もう残りの人生どうでもよかった、後悔なんてない

 

今は高校一年生、某磁石高校で週一登校している

うつ病起立性調節障害と診断されたが生きている

夜、満足に眠れず生きている

周りの小綺麗な高校生にに囲まれ、やや劣等感を覚えながら生きている

ただ幸せになりたいと思って日々生きている

もう二度とあんな目には合わない、親のような人間にはならない、これから自分で考えて日々生きる

もう親には迷惑かけないし、卒業したら見切りをつけるつもり

そう決めたから、最初の一歩としてここに吐き出した

 

 

最近ギターを始めた

おわり